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幸せな人生を歩むために知っておくべきこと
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・葬儀と戒名 

PMJBの会東京

みらいの扉 目白塾

今、葬式はいらない、戒名はいらない、墓はいらないという人が、年々増えています。


 ご先祖が仏教でお葬式していながら、またお盆にはお墓参りをしていながら・・・。 
 今から20年ほど前の1998年4月15日(水)、4月16日(木)付朝日新聞朝刊は「お葬式。 どうする、あなたなら・・・」というテーマで、つぎのような声を伝えています。


お願い。妻、明子へ
前 余命が見通せたとき、延命措置は必要としません。
後 葬儀はしない。通夜は身内だけでする。戒名、位牌、仏壇は、墓は造らない。
横浜市 高田安廣(元教員、73才)

夫へ
式的なお葬式よりもあなたと子供たちだけで私の好物でもつまみながら思い出話をして、明るく見送ってほしい。あなたは見送る側になってほしい、私より早く死なないでね。
墓もいらない。骨は泳げなかった私の最後の希望として、海に流してほしい。
仙台市 富沢ふみ子(がん病棟で、50才)

娘むこへ
通夜 無宗教で身内を中心に音楽(スメタナの我が祖国)を流し好きな生花少々に囲まれ楽しいお別れ会形式で私が生前録音したテープを流す。
葬式 特になし。法に従って火葬に。
遺骨 海か川に許可を得て散骨。
費用 互助会でできる低費用。余分な出費はしない。残った分は余生を楽しく過ごすために使え。もちろん戒名、墓は不要。
埼玉県三郷市 中村海司(65才)

遺命。長男、長女へ・・・父より
1 葬式並びに告別式は執り行ってはならぬ。このことで、他人にご足労願うのは本意
ではない。
2 死んだことは親戚、知人、近所には知らせない。死亡広告も出さない。
3 それでもどこかで聞いて弔問に訪れるだろう。その際、線香をあげてもらうだけ。
供物その他は一切受け取ってはならない。写真は飾ってもよいが祭壇は華美にならないよう極力質素なものに。
4 遺骨は山、海、もしくは湖沼に適当な日を選んでばらまくこと。墓は造らならぬ。
5 法要はいらない。余計な神経は使うな。「金は現世の人々のためにあって来世のためにあるのではない」が父の信条である。
群馬県渋川市 井ノ川金三(71才)

 

このように


 戒名はいらない、葬式はいらない、墓はいらないという人のほとんどは、葬式仏教と揶揄されている現在の仏教界、僧侶、寺に対する批判と疑問が発端です。中には少子高齢化がもたらした後継子孫がいないからという人もいます。
  しかし、今の仏教界はこうした人々に対応していません。このままだと私はますます仏教離れが進み、やがては日本の仏教の衰退というだけでなく、日本の文化・道徳の衰退につながると懸念しています。
そこで、葬儀、戒名、墓の是非について当寺院の考えを次に述べます。

 

■葬儀はいらないという人へ
  ご周知のように、動物は葬儀はしません。つまり、葬儀は尊厳ある人間の崇高な文化であり、道徳なのです。
  ご周知のように、人は誰もが生まれた時から死に向かって生きているのです。いずれは自分も死ぬのです。葬儀はいらないという文化が定着すると、強いては人間の尊厳が失われ、真摯に生きなければならないという道徳の衰退につながります。

そこで、先ず始めに「死」について考えてみたいと思います。
 ご周知のように、生命科学(医学)では@呼吸の停止、A心拍の停止、B瞳孔が開くで「死」です。ここに脳の働きの停止で「死」とすることが出来るようになりました。そして、人間の生命は「死」でもって全て終わり、死後の世界、来世はありません。でも医学者たちは「生」と「死」の境めが分からないといっております。
  対し宗教の場合、その内容に宗教によって違いますが、殆どが「人間の死は、肉体が滅ぶが魂は永遠に生き続ける」と説いています。
  例えば、キリスト教は生きるも死ぬも神によるとし、死は人類の祖アダムとイヴが神に離反したことによる罪です。そこで、その罪はイエス・キリストを信じることによって、やがて清算されて死から復活、そして永遠の生命を得て天国で暮らせるであります。従って、キリスト教徒の場合、死は復活までの間の「永眠」です。ただし、罪深き者、またイエス・キリストを信じない者は神の裁きを受け永久に地獄です。
イスラム教は「アッラーは生を授け、また死を与え給う」とし、生も死もアッラーの思召しによると説きます。そこで、「この世はかりそめの世界。重要なのは来世。善行を積めば、アッラーの思召しよりあの世で永遠の幸福が得られる。」とします。
  仏教の場合、人間に死はありません。死は「転生」、すなわち、つぎへのステップです。経典には、牛乳がバターになり、チーズになるようなものとあり、それは人間から聖なるブッダ(仏)になるを指しています。従って仏教の場合、死は「旅立ち」です。
  このチーズ、バターが元の牛乳に戻ることはないという譬えは、人間は死ぬと元の人間に戻ることはないということで、これはバラモン教が説く「輪廻転生」を否定した教えでもあります。
  このように仏教での「死」は「旅立ち」であるがゆえ、葬儀式を「葬送」と呼び、昔は棺に、ワラジと傘と杖を入れていました。そして、また来世でお会いし、供に「永久に幸なる世界(漢訳:浄土)」で安楽に暮らしましょう(供会一処の教え)と、これが仏教です。

 さて、皆さん、来世があると思いますか。ないとしますか。もし、来世がないとするならば、この世で自制・自律し善行に生きる人は誰もいなく、その結果、社会の秩序は乱れ、人間としての尊厳、道徳が確立出来ないと、私は思っています。
  そこで大事なことは人間の尊厳、すなわち死者を哀悼し供養する心、見送る人の平安、そして死者と永遠に心を結ぶ文化、道徳。それゆえ決して華美である必要はありません。私は葬儀式は必要だと思っています。仮に無宗教者であったとしても。

 

■戒名はいらないという人へ
 原始経典には、お釈迦様は仏教集団に入った者に対し『釈迦の弟子○○』と新しい呼び名を与えたとあります。これが戒名のもとです。
  つまり、戒名は仏門に入り仏道に励む者に与えるものです。従って、伝教大師最澄も、弘法大師空海も、法然上人も、親鸞聖人も、栄西禅師も、道元禅師も、日蓮上人も死者には戒名を授与していません。仏道に励む弟子にしか授与していません。
  ちなみに、我が国で死者に戒名をつけるようになったのは平安時代からで、その頃は貴族・皇族に限られていたとします。それが室町時代、公家・武士に広がり、やがて江戸時代に入り幕府の「寺請制度」「檀家制度」によって庶民も対象となり、そして死者の勲章のようにつけられるようになり、そこに多額な戒名料が誕生しました。もちろん、これはお釈迦さまの教えではありません。

 しかし、私は死者に戒名を付与することを否定する者ではありません。これは、キリスト教でのセント名のようなもの、従って、仏教徒なら付けるべきとします。
  前述したように、仏教での死は人間としての役割の終わりでつぎへのステップ、「旅立ち」です。それゆえ、仏教の葬儀は死者に新しい命を与え、永遠なる安らぎの世界『浄土』へ送る儀式であり、そして死者が永遠に幸なる世界『浄土』に往きて生れることを願う儀式であるからです。
その際、新しい命を得たことの証しとして、また新しく生まれ変わったことの証しとして死者に戒名をつけて葬送するべきである。これは尊厳に生きる人間だけが持つ崇高なる道徳文化である・・・がその理由です。
  また、仏教はご先祖を大事にする宗教で、そこで『供会一処(くえいっしょ)』という教えがあります。来世では永久に幸なる仏の世界(浄土)で共に暮らしましょうという教えです。
  従って、ご先祖や家族が仏教で葬送されているならば自然葬だろうが、音楽葬だろうが、死者には戒名を授受し、浄土に葬送すべきである。なぜなら、それがご先祖への供養であり、また見送る人の安らぎと思うからであります。

 それにしても、多額な戒名料を要求する僧侶の在り方は、お釈迦様の教えはもちろんのこと、宗教の道徳から逸脱していると言わざるを得ません。

 

■墓はいらないという人へ
 そもそも古代インドで誕生した仏教は、現在のヒンズー教と同様、死者の霊?は遺体から離れて天に転生し、残された遺体は神聖な物質であるとして荼毘(火葬)に付し、その遺灰はやがては大海に溶けて宇宙と一つにすることを目的にガンジス川に流していました。それゆえ墓はありませんでした。
  しかし、お釈迦さまの遺灰はガンジス川に流されることはなく、国王や部族の長たちによって八等分され、それぞれがストゥーパ(記念塔)を建立して礼拝されることになりました。『大般涅槃経』は、これはお釈迦さまの遺言に反した行為であったと伝えています。
  ちなみに、我が国の三重塔、五重塔、そして墓石に立てる塔婆(卒塔婆)はこのストゥーパが転化したものです。

 我が国でも古くは、庶民の間で遺体の野棄て、散骨が普通に行われていました。それが遺骨にこだわり墓に埋葬するようになったのは江戸時代以降からとされています。
  ちなみに『続日本後紀』には、840年(承和7年)、仏教に帰依した後太上天皇(淳和天皇)が「骨を砕きて粉となし、これを山中に散らしめよ」と遺言し、その言葉どおり「御骨を粉砕す。大原野西山嶺の上に散じ奉る」と散骨されたと記されています。

 ご周知のように、インドなどのヒンズー教国では今も墓はありません。しかし、キリスト教では死者の復活があるために墓を大切にします。イスラム教も墓を大切にします。中国は道教をもとに墓を大切にします。
  仏教の場合、スリランカ、タイ、ミャンマーなどの部派仏教徒国では仏教思想の根本を継承し、墓はありません。しかし、中国、ベトナム、台湾、韓国、日本のような大乗仏教国では墓にこだわっています。
 従って、大切なことは墓が要るか、要らないかではありません。死者を哀悼する心、供養する心、そして先祖に感謝し、先祖を供養する心。つまり人間としての尊厳と道徳です。そこで、死者やご先祖とどうコミュニケーションをとるかだと思います。なぜなら、仏教では死者は墓の中にはいません。

 

■そこで、当寺院は
 一人暮らしにの方、まだ個人墓地のない方、菩提寺のない方、そして後継子孫のいない方、墓じまいをお考えの方には永代供養に自然葬の一つ、海洋葬・散骨をお勧めしています。

 

合掌
半僧半俗の仏教伝道僧
横手昭道

 
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