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トップページ > マイトリー寺院・目白のご案内
シャカムニ・ブッダのことば 中村 元訳『スッタニパータ』第1蛇の章10 & 『ウダーナヴヴァルガ』ダイ10章より選択 この世では、信仰が最上の富である。 徳行に篤いことは安楽をもたらす。 実に真実が味の中での美味である。 智慧によって生きるのが最高の生活である。 ひとは信仰によって激流を渡り、 努め励むによって海を渡る。 勤勉によって苦しみを超え、 智慧によってすべて清らかとなる。
本来、寺はお釈迦さまの教え(仏法)を聞く場。
そして今、つぎからつぎと発生している学校でのいじめ、子供の不登校、青少年の犯罪、未成年者の堕胎、親の子に対する虐待、そして歴史的に類がないといわれる鬱病患者の増加とその延長線上にある年間3万人前後の自殺、そして子供や成人に達した人たちも含め60万人以上はいると言われてる引きこもりなど、これらの問題は半減すると。 さらには世界中の貧困問題、そして国と国、民族と民族の殺し合い、奪い合いも・・・。 そこで、当寺院は宗派の違い、信仰の違いに関係なく、無宗教の人も、気兼ねなく足を運んでもらえる仏教寺院を目指しています。
「マイトリー寺院・目白」の命名にあたって |
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*マイトリーとは、サンスクリット語「友愛」「慈愛」「慈しみ」の意味です。 仏教の根本は「慈しみ」「友愛」であるとします。 お釈迦様はつぎのように説かれています。 ブッダのことば 中村 元・訳『 スッタニパータ、第一章・蛇の章・慈しみ』より あたかも、母が そのように、一切の生きとし生けるものどもに対しても、 無量の慈しみの 上に、下に、また横に、 全世界に対して 立ちつつも、歩みつつも、 眠らないでいる限りは、この慈しみの心づかいをしっかりたもて。 この世ではこの状態を 一切の生きとし、生けるものよ、 幸せであれ、安穏であれ、安楽であれ。 |
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さて、皆様もご周知のように、我が国の仏教寺院は各宗派ともすべてが、中国に倣い○○山、○○院、○○寺と命名しています。 例えば、私が修行した浄土宗の総本山「知恩院」の正式名は「 しかし、お釈迦様が活躍した頃の僧団には、国王または長者から寄進された「竹林精舎」、「祇園精舎」があるだけで「寺院」はありませんでした。 この「精舎」について、岩波書店発行「仏教辞典」はサンスクリット語ヴィハーラの意訳で、それは「出家修行者の修行する場、または宗教祭事を行う場を指し、立派な建物ではない」と述べています。 ちなみに「寺」も、中国では「外国から来た要人を泊める建物、つまり迎賓館」をいい、そもそもは宗教的祭事を行う「寺院」ではありませんでした。それが宗教寺院を指す言葉となったのは、遙かインドなどの西域の国から来た僧侶たちが寺(迎賓館)に迎えられ、そこで仏法を説いたり、宗教的祭祀を執り行なったことからとされます。 やがて中国では、この「寺」の上に○○山、下に○○院という「山号」と「院号」をつけるようになりました。つまり山号は出家修行者たちが○○山という山に籠もって修業していることを表し、院は塀で囲まれた建物を指すと同時に、そこには聖なる修験者、○○な高僧が住んでいることを表意します。 しかし、私はこれまでのしきたりに捉われず、仏教の根本は「慈悲」「平等」「自由」「共生」であることをもって、また、この多様で変化の激しい時代を生きて行くためには、各宗派が説く一行にこだわることなく、広く、広く仏道を歩むことでなければならないとして、「マイトリー寺院・目白」と名づけました。 合掌
半僧半俗の仏教伝道僧 横手昭道 交通アクセスJR目白駅より徒歩4分 |
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