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シャカムニ・ブッダのことば
無常

中村 元訳『ウダーナヴヴァルガ』第1章無常より選択

生きとし生きる者はどもは死ぬであろう、
生命はついには死に至る。
彼らはつくった業の如何に従って赴き、
それぞれ善と悪の報いを受けるだろう。
悪い行いをしたものは地獄におもむき
善いことをした人々は善いところ、天に生まれるであろう
しかし、他の人々はこの世で道を修して汚れを去り
安らぎに入るであろう。
それゆえ修行者らはつねに迷走を楽しみ、心を統一安定し、
努め励み、生と老いと究極を見極め、
悪魔とその軍勢に打ち克って、
生死の彼岸(極楽浄土)に達するものとなれ。

はじめに

 ご承知のように、今、仏教寺院のほとんどが寺を葬儀場と化して、死者に戒名を授与し、そして「お経」すなわち「お釈迦様の教え」を読んで聞かせています。
 これを人々は「葬式仏教」と揶揄し、戒名も要らない、葬式も要らないと言って、仏教から離れ、自らをば「無宗教」と呼んでいます。
 現代の哲学者梅原たけし氏は、これを憂い、平成17年7月の朝日新聞「反時代的密語・梅原猛」の欄で、『道徳を忘れた仏教』という題で、つぎのように批判しています。

 最近仏教書が売れ、仏教復活の空気が出てきたという。ー中略ー。甚だ喜ばしい現象であるが果たして仏教の復活が可能であろうか。この問いに対し、私は残念ながら否と答えたい。現代の仏教は道徳を忘れているからである。
 どのような宗教でもその内面に厳しく規定された道徳をもっている。道徳をもっているがゆえに宗教はつい最近まで繁栄を続けてきたのである。道徳を失った宗教は滅びざるを得ない。ー中略ー。
 しかるに明治以来、仏教がすぐれた教えであることを説いた人は多いが、仏教道徳をしっかりおのれの身につけ、それを守ることを説いた人は少ない。ー中略ー。
 今や仏教者はほとんど俗人と変わりない生活をしていて、仏教者が俗人より高い道徳を持っているとはなかなかいえない。このような状況の中で仏教者が自己の道徳に自信をもち得ず、道徳を語らなくなったのは当然であろう。
 今、日本の道徳は衰え、このままでは日本は再び、亡国への道を行かざるを得ないとうれえているのは私一人ではあるまい。仏教者は仏教がすぐれた教えであることを語る前に、まず自らの生活において十善戒じゅうぜんかいを守り、六波羅蜜ろくはらみつの徳を実践しているかを心に深く問うべきではないかと思う。



 当然のこと、お釈迦様は死んだ人に『法』は説いていません。生きている人間に対し、普遍なる宇宙の真理を示し、そして「人はどう生きて、どう死ぬべきか」の道理を説かれました。すなわち、それが仏教なのです。



では、お釈迦様の時代、お葬式は?

  実は、お釈迦様が衆生済度の遊行中、葬儀を執り行ったという教典や記述はどこを探しても一切ありません。
 また死者の葬儀はこのように執り行えと説いた教えも、どの経典を探してもありません。唯一、経典で伝えられていることは、お釈迦様のなきがら骸を荼毘だび (火葬)に付して送葬したのは在家信者たちであったということだけです。そして、「荼毘に付されたお釈迦様の遺灰は、ベローナというバラモン僧の提案で、葬儀に駆けつけたマガダ国の王アジャセ、カピラヴァストウのシャカ族、ヴェーサリーのリッチャヴィ族、アッラカッパのブリン族、ラーマガラーマのコーリヤ族、パーヴァーのマッラ族、ヴェタポードウ族のバラモン僧たち、そしてベローナと八等分にされ、それぞれがストゥーバ(記念塔)を建てて供養することになった」とあるだけです。
 そこで仏教学者たちは、「仏教はお葬式が主ではなかった。またお葬式は僧侶の専売特許ではなかった。また当時の古代インドでは、死者は荼毘に付して、その遺灰をガンジス川に流す、またはそのまま遺体を遺棄する、土葬するなどの自然葬が主であったことから、仏教の葬儀は火葬が基本と見なされる」と言っています。



そこで、仏教は死をどうとらえているか

 端的に云うと、仏教での人間の死は、この世での終わりであって、それでお終いではありません。新たな生命を得て転生するというものです。輪廻はしません。つまり「死は次への生まれ変わりの節目」、「死は次の生へのステップ」というものです。
 そこで、「ブッダと成って涅槃の境地に達し、来世は浄らかな世界(浄土)に きて生まれよ」がお釈迦様の教えです。
 この「転生」、次のような比喩で語られています。

転生とは

『テーラガーター』(仏弟子・長者のことば)より

転生とは、牛乳がらく(ヨーグルト)になり、
酪が生蘇しょうそ(フレッシュバター)になり、
生蘇から醍醐(だいご)(チーズ)になるようなものである。
このように、行為によって、また因縁によって、しかも一方が他方に寄りかかって持続し、つぎに生まれる。
決して永遠不変な主体が転生するものではない。  

  そもそも「輪廻転生」は、古代インドに生まれたバラモン教の教えです。そのバラモン教は「人間には、眼には見えないが主体的・不変的、物理的なアートマン(霊)が潜んでいる。それが天界・人間界・畜生界・餓鬼界・地獄界の五道、(または修羅界を入れて六道)を輪廻する」としていました。
 それをお釈迦様が批判して生まれたのが仏教です。
 お釈迦様の教えは「仮に、バラモン教のように、主体的で、不変的で、眼には見えないが物理的なアートマン(霊)が輪廻転生するとするならば、人は前世における己を知っているはずである。この世には、己の前世を知るものは誰一人としていない。よって、命あるものはすべて転生するが輪廻はしない。また、一度転生したものはもとに戻ることはない。しかも転生するのは永遠不変なる主体、アートマンではない。従って、同じものには転生しない」というものです。
 そして、「この真理を悟り、善行を積んで、清浄なブッダとなり、涅槃の世界(浄土)へ転生せよ。」が、お釈迦様の教えです。

 しかし、お釈迦様の滅入から約500年を経て誕生した大乗仏教は、出家修行しなくとも誰もがブッダに成れるという「信仰の宗教」を打ち立てるために、これを変えてしまいました。
 というのも、大乗仏教は「お釈迦様は前世で菩薩行を積み、その功徳をもってこの世にブッダと成って誕生した」として、お釈迦様を神格化しました。それにはお釈迦様が否定したバラモン教の「輪廻転生」を取り入れざるを得なかったのです。
 これが中国を経て、我が国に伝来し今に続いています。でも、もうそろそろ我が国の仏教界は、タイやスリランカなど、原始仏教の流れにある上座部仏教のように、この「輪廻転生説」を終わりにしなければなりません。なぜなら、これが知識人や科学者たちに「仏教にはいい加減な教えがある」と非難される一因になっているからです。



仏教の葬儀
それは人間が持つべき最高の尊厳であり、高尚な文化


  前述したように、お釈迦様の教えは「人間を含め、生きとし生きるものの死は、この世での終わりであって、それでお終いではない。新たな生命を得て、次の世界に転生する」というものです。
 そこで、仏教での葬儀は死者に新しい命を授与して、次の世界、すなわち「永遠なる安らぎの世界」、すなわち「涅槃の世界=浄土」へ送る儀式、また死者が永遠に幸なる世界「浄土」に往きて生れることを願う儀式となります。
 従って、これは「人間が持つべき最高の尊厳であり、高尚な文化」なのです。



仏教葬儀の始まり

  紀元538年。欽明天皇が治める我が国の朝廷に、朝鮮 百済くだら国の聖明王せいめいおう から仏像と経典が贈られて来ました。これを仏教公伝と呼び、仏教伝来の起源としています。
 そして紀元587年、欽明天皇の跡を継いだ用命天皇が仏教に帰依し、その後、即位した歴代天皇のほとんどは仏教徒となり、そして古墳時代が終焉しました。
 それまで天皇の葬儀は、葬儀という言葉は忌み嫌われて「吉事よごと」と呼び、遺体を殯宮もがりのみやという仮殿に安置し、そしてるい(弔辞)を捧げて歌や踊りで慰めていたと、日本書紀は伝えています。
 天皇家が中国仏教の葬儀形式を取り入れたのは、756年の聖武天皇の大葬が始めとされます。しかし、このときは仏式の祭壇と陵墓への行列のみで、僧侶は参加していませんでした。それが、時代の経過とともに、徐々に道教・儒教と習合した中国仏教の葬儀を参考にした形式がつくられ、そして、明治天皇の父孝明天皇まで、歴代天皇の殆どが仏式で葬儀を行っています。
詳しくは、大角修著「天皇家のお葬式」(講談社現代新書)をご拝読下さい。

 ちなみに、仏教が伝来するまで我が国の庶民の殆どは遺体を祈りもせずにただ野に捨てるか、土に埋めていました。そして、これを変えたのが大仏建立の勧進をした 私度僧しどそう(半僧半俗の僧のこと)の行基ぎょうき (668〜749)です。
 行基は大仏の建立だけではなく、野に捨てられた遺体を集めては火葬し、読経し、埋葬しました。やがてそれを見た人々が家族が亡くなると行基に葬儀を依頼し、人々は行基を文殊菩薩の化身けしんたたえました。また行基に刺激されて他の私度僧たちも、わずかな布施をもとに葬儀を始めるようになり、これが庶民の仏教葬儀の始まりであるとされています。
 やがて、時代は室町時代後期に入り、庶民が貴族・公家・武士と同じように葬儀式をするようになりました。この室町時代に「 作僧さそう 」といって、死者に戒名をつけるようになり、今日に至っています。



お釈迦様も最澄も空海も法然上人も親鸞聖人も
そして栄西禅師も道元禅師も日蓮聖人も一遍上人も、
死者に戒名は与えていない


  前述したように、お釈迦様は死者に戒名は与えていません。原始経典では、お釈迦様は「仏・法・僧」の三宝に帰依して弟子となった修行者たちに対してのみ、「釈迦の弟子○○・・・」という名を授与したと伝えているだけです。
 これに倣い、伝教大師最澄も、弘法大師空海も、法然上人も、親鸞聖人も、栄西禅師も、道元禅師も、日蓮聖人も、一遍上人も、死者には一切戒名を与えていません。これらの聖人たちも、戒名を与えたのは、得度して仏道に励む弟子に対してのみです。
 このように戒名は、本来、生きて仏門に入って修行する者に対して授与するものなのです。

 ちなみに、我が国に戒名を授与する「戒法」を伝授したのは、鑑真和上(668-763)です。
鑑真和上は「戒名」を与える正式な作法を伝えるために5度の海難と失明を乗り越えて6度目にして来朝しました。それは大仏開眼から二年を経た紀元754年のことでした。
 しかし、当時の仏教は貴族・公家の養成を目的にした学問的なものであったために、「戒名」を授与する作法だけが受け入れられ、和上が説く厳しい「戒法」は受け入れられませんでした。
 己の努力が実らないことを知った和上は、759年、東大寺を退いて唐招提寺を建立。そして、そこを伝律の根本道場とする日本「律宗」を立ち上げました。
 この鑑真の意思を継いだのは、鑑真の入滅から約50年を経て現れた最澄です。この最澄の出現によって、仏教は本来あるべき宗教としての一歩を歩み出したのであります。



では、戒名とは?

  戒名は、ブッダ(漢訳「仏陀」、和訳「仏」)に成ることを目的に、仏門(仏道修行)に入ったことの あかし として、師が弟子に授けるもので、いわばこれは、キリスト教のセント名のようなものです。
 前述したように、お釈迦様は「仏・法・僧」の三宝に帰依した弟子に対して「釈迦の弟子○○・・・」という名を授与したと、経典は伝えています。
 それを中国では「戒名」と名付けて、その戒名を二字としました。その習わしが我が国に伝来したのであります。
 従って、我が国の高僧、最澄、空海、そして法然、親鸞、栄西、道元、日蓮、一遍などの名はみな戒名です。と同時に、これらの高僧たちはお釈迦様の教えをもとに死者に戒名を授与していません。弟子となって仏道に励む者に対してのみ、戒名を授与しています。
 なお、浄土真宗並びに日蓮宗では「戒名」とはいわず、「法名」と呼んでいます。それは「戒律」だけではなく、戒律を含めた「お釈迦様の教え」、すなわち「法」を保持するのが「僧侶」という考えからです。



なぜ、死者に戒名を与えるようになったか

  平安時代まで、仏教は貴族公家のための宗教で、庶民の宗教ではありませんでした。その平安時代初期、貴族や公家や豪族などの間から、大乗経典『法華経』などで説かれている授記じゅき 思想(戒を授かることによって来世には必ずブッダに成れるとする思想)をもとに、出家修行をせずに「戒名」=「僧籍」を授受したいという人たちが現れました。
 そこで、自ら法事を営んで「戒名」をいただき自らを弔うという、今に言う「生前葬」が競って行われました。これを「逆修ぎゃくしゅう」といいます。端的に云えば、「あの世に行ってから仏道修行します」ということです。
ちなみに、この平安時代初期、第54代仁明天皇(810〜850年)は死の2日前に病気平癒を願って制戒(戒名)を授受したと『しょく日本書記』に記されています。
 そしてこのときに、仏門に入った貴族に対する尊号、すなわち戒名の上に○○院とつけて呼ぶ「院号」が生まれたとされます。
 やがてこの生前葬(逆修)は鎌倉時代から室町時代にかけて、あらゆる階層に亘って盛んになりましたが江戸時代に入り、幕府の命によって廃止されました。

 受戒していない死者に「 作僧さそう 」と称して戒名を授与し、葬儀を執り行うようになったのは室町時代に入ってからのことです。これは生前葬、すなわち逆修の延長線で生まれものです。
 と同時に、○○院△△□□居士(又は大姉・信士・信女など。これを位号という)の称号と、最高位の武士に対する尊号「院殿」を誕生させて院号より高位とし、今に繋がる葬儀式を確立しました。
 今、一般的に○○院△△□□居士を統括して戒名と呼んでいますが前述したようにそれは違います。正式には○○は院号で、△△は道号(宗派によって誉号、阿号)、そして□□が戒名、その下が位号。すなわち、戒名は2字です。
 こうして戒名に、「生前授与」の戒名と、「臨終授与」の戒名、「死後授与」の戒名の三つが生まれました。しかし今、一般の人々に授与されているのは「死後戒名」だけです。



では、死者に戒名が要るか、要らないか?
また、戒名がなければ成仏できないのか?

 お釈迦様は『大石は水に浮かばず』という譬喩をもって、自然の摂理、原理原則として、善いことを積み清浄な人は、来世は『浄土』に生まれ、悪いことをし汚れた人は『地獄に堕ちる』と説いています。
 従って、お釈迦様の教えでは「仏教徒であろうが、仏教徒でなかろうが、また戒名があろうが、戒名がなかろうが関係ない」ということになります。
 しかし、この世で罪を犯さず、完全に清浄に生きられる人はいるでしょうか。私はいないと思います。もちろん、私にはできません。
 『いや、そんなことはない。私は全く嘘も言ったことも、人を傷つけたことも怒ったこともない。こころで人を憎んだことも、羨んだこともない。まったく清浄だ』と、あなたは自信がおありですか。
 かのお釈迦様でさえ、『貪り・怒り・痴さ』の煩悩から離れて清浄に生きようと出家修行を重ね、その結果、真理を悟り人間としての最高理想像『ブッダ』に成られたのです。とてもとても、全く清浄に生きられるという人がこの世にいるなんて、私には思えません。だから、仏道修行なのです。

 仏教は功徳(善きこと)を積むことに、そして「こころ」と「ことば」と「行ない」を浄めることに努め励むことが修行です。その結果、来世は清浄な世界=涅槃の世界、すなわち永遠に安らかな世界『浄土』に往きて生まれることを理想とします。
 そこでお釈迦様は、つぎのように説いています。

つとめ励む人は死ぬことはない

中村元訳『ダンマパダ』21・22・23

つとめ励むのは不死ふしの境地である。
おこたりなまけるのは死の境涯きょうがいである。
つとめ励む人々は死ぬことが無い。

怠りなまける人々は死者のごとくである。
つとめ励むことについて、
この区別のあることを知って、
賢い人・聖者は、自分の境地であるつとめ励むことを
いつも喜ぶがよい。

たえず道に思いをこらし、堪え忍ぶことに強く、
つねにたけく奮励する思慮ある人々はニルヴァーナ(涅槃)に達する。
これは無上の喜びである。

  こうした教えをもとに仏教徒は、戒名のない死者には仏門に入って永遠の命を得たことの証しとして、また新しく生まれ変わったことの証しとして戒名をつけて、浄土に送葬します。
 つまり、戒名はキリスト教徒が洗礼名を持つのと同じように、尊厳に生きる人間だけが持つ、崇高な道徳文化なのです。仏教徒ならば必要なものです。
 当然、無宗教者、また仏教徒でないならば死者に戒名は要りません。幸田露伴が友人であった文芸評論家の斎藤緑雨が亡くなった際、墓に「春暁院緑雨酔客」と記名したように、自由に名をつければ良いのです。
 しかし、仏教で付与する戒名を勝手につけて良いとするならば、それは宗教=仏教に対する冒涜です。決して許されるものではありません。



戒名料

 今、殆どの寺は戒名料で維持されています。本来、戒名料はお布施です。従って支払う側の志が原則です。でも、寺側から要求されるのが現実で、しかもそれは不明朗です。檀家が強い寺では、檀家が料金を定めている場合もありますが、でも、ほとんどは寺側で決めており、しかも不明朗であるために「ぼったくりバー」のような印象を与えています。
 そのような社会的批判を受けてある仏教教団は、戒名及び戒名料のあり方についていろいろと議論し、その結果、つぎのような改革案があったといいます。

 @これまで寺への貢献度で院殿などの尊号を付けてきたが、原点に戻って2字戒名にすべきでは。
 A原始経典で「釈迦の弟子〇〇」と伝えられているように、戒名は「仏子○○」と統一すべきでは。
 B戒名料を統一し、別に「香典バンク」というようなものを作って、香典の一部を「寺」乃至は仏教興隆の資金に充てるのはいかがか・・・・など。

 しかし葬儀に関する価値観、地域性、また死生観の違い、また檀家数の違いなどで、改革案がなかなか纏まら無かったといいます。
 寺院を維持するためには止む得ない面はあるにしても、現代の哲学者であられる梅原猛氏が指摘しているように、多額な「戒名料」を取る葬儀は高尚な文化、道徳から逸脱しているのは明らかです。一刻も早く、本来の仏教の根本に立って改革を進め、信者との信頼関係を再構築すべきであります。



結び。戒名は生前に。

  宗教とは、「人間として尊厳をもち、どう生きて、どう死ぬかの教え」のことです。つまり、宗教は尊厳に生きる者の「心の柱」です。
 その証が「戒名」となります。それは作家・画家・書家などがつける雅号のようなものです。
 例えば、夏目漱石の「漱石」は雅号で、本名は夏目金之助です。また、森鴎外の「鴎外」は雅号で、本名は森林太郎。勝海舟は勝安芳。西郷隆盛は西郷南洲です。こうした雅号には、その人の人間性を彷彿させ、引きつける何かがあります。また、その人の死生観、価値観をも表しています。戒名もそうあるべきです。
 ちなみに、私は50歳の時、仏門に入り、師より『昭道しょうどう』という戒名をいただき、横手あきらから横手昭道になりました。この戒名を私は大変気に入っています。爾来、私は「お釈迦様の教えをもとにあき らかな道を歩かなければ」と気を戒めながら充実した日々を送っています。
 私は今、常々思っています。このグローバル化が進み、競争の激しい時代、変化の激しい時代を生きていくためには「心の柱」が必要であると。
 また、核家族が進み、少子高齢化が進み、家族の絆、地域の絆が薄れた時代を、希望を持って、強く、正しく生きるためにも「心の柱」が必要であると。
 その一つの方法が、仏教徒となって「戒名」を授受し、お釈迦様の教えに生きることです。ならば、きっと、幸せな人生、幸せな家庭を築けると思います。

 ◎推奨本:藤井正雄著『戒名のはなし』歴史文化ライブラリー217。吉川弘文館発行。



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